本因坊と私 関根 金次郎著 青空文庫 底本: [ 日本の名随筆 別巻11 囲碁II ] 作品社 1992年1月25日 第1刷 |
||
関根十三世名人は、明治元年四月一日の下総国(千葉県)生まれであり、諸国将棋遊歴の旅、そして全国棋界統一、実力名人戦の創設と、近代将棋界の父と言われている人である。 また、阪田三吉との戦いはあまりに有名である。 この関根金次郎名人の著である「本因坊と私」は、本因坊もとうとういけなかったネ。という出だしで始まる。本因坊とは、四十年近い交際で、二人っきりで旅行もし、男の交際をしていたとのことで、男の交際とは、羽織袴の交際だけでは駄目なもので、素っ裸になってお臍の穴から睾丸まで見せ合うようにならなくては、とも本文の出だしで述べており、明治生まれの豪快な面が察せられて面白い。話は、亡くなった本因坊との思い出話を人に語っている様に書かれている。 若い頃、本因坊と吉原に遊びに行った朝帰りに将棋会所に寄って、そこで、一生懸命に指している子供と六枚落かで五番程さしたのが、後の木村名人との最初の出会いとか、本因坊と行った田舎の小料理屋の酌婦との話等面白い。清水の次郎長親分も出てくる。 本因坊が亡くなったのは、六十七歳で、この時関根名人は七十三歳と本文に有り、この七十三歳という歳は、関根名人がその自伝として世に出した「棋道半世紀」という著書をしたためた歳でもある。 本文中には、本因坊の名前がいっさい、出てこないが、第二十一世本因坊秀哉名人に違いないと思う。 それは、川端康成の「名人」の出だしで、第二十一世本因坊秀哉名人は、昭和十五年一月十八日朝、熱海のうろこ屋旅館で死んだ。数え年六十七であった。と述べている所以である。また川端康成は、名人の最後の勝負碁の観戦記を書くために熱海に滞在していたわけであるが、名人の最後の観戦記を書き、名人の好きな将棋の最後の相手をすることになったとのこと。川端康成は訃報を聞き、その場に馳せ参じたのであるが、関根金次郎は、「本因坊と私」の中で、よっぽど熱海まで迎えに行こうかと思ったが、丁度折り悪く風邪を引いて寝ていたので行けなかった。残念したよ。と述べている。この時、川端康成41歳、関根金次郎73歳と歳は離れていますが、本因坊を取り巻く不思議な縁である。 |
棋道半世紀 関根 金次郎著 博文館 昭和15年2月10日 発行 |
||
本書は、昭和13年9月から「新青年」誌上に発表、連載17回にわたり、同14年9月に完結したものである。と著者である関根金次郎十三世名人が序で述べている。この時、73歳、昭和15年正月吉日。 関根名人が将棋の駒をいじくり出してから半世紀を越えて60年、この間の様々な話を思い出すまま述べ、それは後進の棋士の、また一般の方々の、参考になることもあるかと思うとのことである。内容は、幼少の頃からの回想で諸国を遍歴した武者修行の青年時代の苦労話、褌まで売って食いつないだこと、諏訪湖畔の宿でお化けが出たこと、清水次郎長親分と会ったこと、酒で失敗したこと、出会った女性の話等々、非常に内容豊かで関根名人の人となりが分かって面白い。また、本文の中で、玄人と素人の違いは、素人は平手で初段くらいの力があっても駒落ちでガタ落ちに力が弱くなると述べておられ、将棋の基本は駒落ちにあるということが察せられる。青年時代の諸国遍歴時に対戦相手のことや将棋内容を記したノートをスリにすられて紛失したことが非常に残念と書かれており、これがあれば将棋史に新たなページを加えることが出来るのにと残念である。不老長寿について一番肝心なことは、あまりものごとを気にかけず、取り返しのつかないことは、早くさっさとあきらめていつもさっぱりした気持ちでいることが大事だと述べている。阪田三吉については、いっさいの記述がなく巻頭写真の関根名人の名人披露会案内状の当日手合割に名があるのみである。本書は、是非復刊してほしい書である。 目次 名人位の話 名人位の話(1) 将棋の流行(4) 女と将棋(7) 希望いろいろ(10) わがふるさと ふるさと(14) 父母のこと(16) 少年棋客(21) 天狗の鼻(24) 諸国遍歴(27) 褌を売る(30) 田舎役者時代 田舎役者(35) 裄の科(38) お化けの話(41) 続お化けの話(46) 厠が褥(50) 合図将棋 病気の話(54) 合図将棋(57) 炬燵の失敗(59) 持駒の辯(65) 清水次郎長に會ふ 清水次郎長に會ふ(66) 八段半の小林東泊(70) 見合の失敗二つ(76) 辨天娘に振らる(79) 上には上がある(83) 北海道の旅 北海道の旅(87) 阿寒国立公園(90) 傷病兵慰問(94) 将棋會挿話(一)(98) 将棋會挿話(二)(101) 傾城に誠ありや 傾城の誠(107) 名人の言葉(113) 酒談議(117) 女房の話(120) 武者修行 盲目将棋(124) 人さまざま(127) 宛ら武者修行(131) あの世も共々(138) 観音様将棋(141) 錦旗の駒 合縁奇縁(147) 郵便将棋(150) 九死一生の水難(152) 「井蛙」の家(155) 實のある玉手箱(159) 八段の免状(162) 男の癪 時の生佛 (164) 風變わりな遊歴人(166) 男の癪(170) 思い出二三(173) 五層将棋(176) 小野名人への果し状 九州の旅で(179) 親の心子知らず(182) 器用貧乏(186) 最初の弟子(190) 土居の述懐(193) 小野名人へ果し状(196) 金は人をこ孤獨にする(199) 三代将棋 磯濱・常磐公園(202) 虻蜂とらず(204) 三代に互る将棋(209) 駒臺の發案者(211) 手数将棋(214) 木村義雄の事ども 家元大橋家の系譜(218) 将棋と囲碁の関係(211) 近代将棋の名手(224) 木村義雄のこと(上)(230) 木村義雄のこと(下)(234) 新喜楽の将棋會 井上八段のこと(239) 大崎八段を弔ふ(242) 不養生のいろいろ(244) 新喜楽の将棋會(246) 年齢について(250) 人は濠 人は垣 失敗は成功の基(254) 宗印先生記念碑(256) 小菅さんの仲裁(260) 心の籠った贈り物(264) 中国九州の旅 出雲(268) 曉の湯の老人達(271) 陸軍病院慰問(276) 思い出深い熊本(279) 福岡の幼年棋客(281) 長崎の女(284) 名人披露會 信州の旅(287) ステッキの話(289) 名人披露将棋會(291) 朝鮮・満州(293) 殿の浦(297) わが不老長壽の法(301) |
小説関根名人 倉島 竹二郎著 大日本雄弁会講談社 昭和31年11月10日 第1刷 |
||
本小説は、関根金次郎が二十三四の旅修行でのいくつかの出来事を8つの短篇とした娯楽小説である。 「信州の鬼」:明治22年初夏、旅回りの将棋指しとして訪れた松本での将棋大会で若親分伊太郎と出会うのだが、かつて師匠の11世名人伊藤宗印のもとを飛び出していった兄弟子藤森伊太郎その人であった。 「幽霊将棋」:明治22年8月、新潟から山形県酒田へ向かう船での旅僧との出会い、かつて将棋会所で世話になった松下太一郎であった。故郷山形では旅館の跡取りであったのだが、米相場で失敗し女房を置いて飛び出し東京で一旗あげようとしたのだが、10年の歳月が流れ、再び故郷に戻って来たのだが・・・。 「金銀模様」:明治25年晩春、相州藤沢の遊行寺も境内、大道将棋に手を出したところが、姐さんに声をかけられ相模屋清兵衛の家に厄介となるのだが、清兵衛からの頼みごととは・・・。「将棋女郎」:金次郎は、ふとしたことから、伊豆三島町の三島神社境内で鯉に麩をやるあでやかな女、お京と出会う。お京の背中には訳ありの詰将棋が・・・。「男の港」:清水港、清水次郎長親分との出会い。「名判官の盤」:豊川稲荷境内、出来心で金次郎の懐に手を出した娘お美代とその父かつて兄弟子同様であった常吉との出会い、松坂福四郎七段と寺宝の将棋盤の紛失事件の関わりは如何に・・・。「勝負師の系図」:小菅剣之助との出会い。「祇園の肌」:祇園町、いかさま将棋をし、すっかり芸妓にうつつを抜かした金次郎に小林東伯斎が現われ・・・。 本小説には、他に、天野宗歩を主人公とした「勝負一代男」、「勝負師 木村義雄」の二篇が収録されている。 |